日本にとって、共通の価値観を共有ができない国々の事を、初心者でもわかるように伝えるのが目標です。上級者には物足りないと思いますが、よろしくお付き合いください。 きゅうじとは【救治】【急事】【灸治】 【旧辞】【旧時】【旧事】から名付けました。

★高松宮殿下と硫黄島 日本人の心はここにあり

実録 硫黄島玉砕

東京から南へ約1250キロ、太平洋に浮かぶ硫黄島(東京都小笠原村)。
先の大戦末期、米軍との激しい戦闘で日本兵21900人が戦死した。

硫黄島【360°パノラマ】

http://www.sankei.com/photo/panorama/news/160628/pnr1606280001-n1.html

 

※以下さくらの花びらの「日本人よ誇りを持とう」さんより転載

https://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34864847.html

 

島倉千代子さんが硫黄島に行かれた時、喉が渇いたマネージャーが水を飲もうとしたら、島倉さんが叱責した。

「あなた何やってるの!ここで水も飲めずに亡くなっていった方々がいらっしゃるのに」、と。

 

硫黄島の兵士達にとって一番苦しかったのは水を飲めなかったことであった。
 
米戦史上最大の被害と言われた「硫黄島の戦い」。護る主将は陸軍中将・栗林忠道である。  
 
栗林中将に陸軍中央から「指揮官は父島へ」と言ってきたが、「硫黄島は重要拠点であるから指揮官は戦闘の中心にあるのが大切である」と言って、昭和19年6月に硫黄島に赴任してきた。第109師団、守備部隊2万人。  
栗林中将は従来の「水際戦法」を捨て「栗林洞窟」による持久作戦とした。
しかし、この構築は地獄の苦しみを伴った。  
硫黄島は地下30センチに芋を埋めておくと2時間で柔らかくなるほどの地熱があった。
日本兵一酸化炭素と硫黄のため防毒マスク着用で地下壕を掘った。
しかも10分おきの交代である。
深さは10~15メートルで道具はスコップと十字鍬のみ。歩兵も土運びに動員され、作業中の敬礼は省略された。  
こうして延長地下道は18キロ。この辛苦は筆舌に尽くしがたい。国を護ることは大変なことである。  
栗林中将は日本兵に敢闘として
「10人を倒さなければ死んでも死なない。最後の一人になってもゲリラで悩まそう」とし、
師団の「戦闘心得」には「戦友が倒れてもひるむな、苦戦に負け死に急ぐな、一人の強さが勝利の因」とした。  
 
昭和20年2月16日早朝、米軍は硫黄島に猛烈な艦砲射撃を撃ってきた。上陸援護のため浴びせた弾薬8000発であった。  
海兵隊総指揮官ホランド・スミス中将は
「最初の50時間で我が損害は3,000人以上になり、26日に及んだ戦闘で死傷者は全部で21,558人、うち5,528人は戦死」と言った。
しかし、日本は敗れた。  
硫黄島は米軍の占領後、飛行場の為、遺骨を放置したままブルトーザーで地ならししたため島全体が遺骨化した。  
 
昭和47年、高松宮殿下が硫黄島に行かれた時、壕の中には折り重なっていた遺骨は片づけたが、骨片が散らばっていた。  
壕に案内された高松宮殿下は息を呑み、やがて地べたに正座して、両手をついて首を垂れ瞑想状態になられた。一言一句も仰せられないので何をお祈りされているかはわからない。   次に別の壕に案内された。今度は殿下は入るのをためらわれたが、靴を脱がれ、靴下も脱ぎ、素足で骨片の散らばる壕内へ入られた。   硫黄島は今もガスが吹き上げ、ゴツゴツととげとげしい所である。その地面を素足で歩かれて視察されたのは、戦後、高松宮殿下お一人である。  

下の動画は日本兵の勇戦が如何に凄かったかを知ることができる映像である。

これを見れば高松宮殿下の行為こそ日本人の心であると理解できるはずである。

https://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34864847.html